昭和40年10月19日 夜の御理解
本日は、小倉の80年の記念祭に、初日の今日おかげを受けさせて頂いて、本当に、祭主の先生も、副祭主である桂先生も、本当にですね。本当に心のお初穂というか、そう言う様な生々した、初々しいというか、そういうお祭りを御仕えになる、初日におかげを頂いたという事は、本当に有り難いと、思わせて頂いておるのですけれども。ここでも本当に、あの御造営そして、ここの記念祭というので御座いましたから、ほんの無計画のままで御座いました。
けれども、本当に無計画のままですけれどもやっぱりあの、バスの中はいっぱい本当に計画して、前々からしておったように、人員の上にもきっちりおかげを頂いた。大変広大なおかげを頂きました。まあ大変なお祭りで御座いました。1900名からの参拝者があったそうでございます。それが三日間に亘ってあるのですけれどもね、本当にあの、お道のひれいであり九州の道のひれいだと思わせて頂きます。
ところがです、私御祭典が始まらせて貰い、心中祈念をさせて頂いておりましたら、私の心眼に頂きましたのが大きな丼にですね、もう一杯の里芋の煮たのを頂くんです。どういう事だろうと私は思うた。私は芋のお知らせを頂きますと繁昌と仰る。芋というのはもう芽がいっぱい出ておるのです。所がその煮た芋なんです。煮てあるいわゆるお煮しめのお煮しめです、お煮しめお煮付けのお芋が大きな丼に一杯こうついである。
私は考えたのですけれども、そのお芋ではご飯のお惣菜にはなる。成程今日の御大祭はある意味合いにおいて計画通りのままになった、きちっとしたお祭りだったとこう思います。けれどもお神酒の魚にはならなかった。と私はこう思うのです。何と言うても生き生きしたいうなら、血のしたたるような、新鮮な例えば鯛の刺身なら鯛の刺身、鰤なら鰤の刺身があってです、初めて有り難き勿体無き恐れ多きと仰る、有難き勿体無き恐れ多きのその神酒の魚になるのである。
そういえば皆が異口同音に申しておるようにです、本当に有り難いものを頂きたいと意気込んでおるのにも関わらず、有り難いものを何か知らんけれど、有り難いというものを、感じる事が出来なかったと思う。信心にはですどうでも生き生きしたものを欠いたらだめ。いうなら、なんでしょうね、芋の繁昌のおかげを頂いた。過去においては、今日までにおいては。
それこそ九州中に桂先生のご信心が九州どころではない、海外にまでまあ、おかげをだんだん頂いてきたのでございますけれども、もうそれは、煮たものでしかないという事。ならこの煮た芋をいかに泥の中に入れたところで芽は出らんという事。ここに私はこれからの椛目に対する神様のご期待があるのではないかと私は思うのです。最後に御祭事を済まされて、御霊様にもご挨拶させて頂きましたら、あすこの霊舎いっぱいに桂先生のお姿を拝むんです。
そしてあの四方、四方拝とうわけでしょうかね、この四方を向いて拝礼をされるお姿を頂く。なお私はお願いさせて頂きよりましたら、ここの地鎮祭の時に善導寺の親先生がおいでられてから、いわゆる、四方を向いていわゆる、お払いをなさいましたですね。あん時の情景を頂くんです。はああの時から、あの時からというわけではないのですけれども、あすこの御造営には桂先生の特別の、お働きを頂いておったんだという事を、実感しておりますけれども。
尚更それを又感じさせて頂いて、例えば合楽教会というか、あちらの御造営が成就するというか、あそこにこそ、私を中心にして皆さんの生き生きした信心がです、いわば生きたお刺身のようなその持ってです、生きのよさを持って信心を進めさせてもらい。そしてそれがです、有難き勿体無き恐れ多きのいわば、酒の肴ならこれでなければならんというようなです、だから場合にはピリッと利くお酒も必要でしょう。
ようにその私は、これが、どうでも、おかげを頂かねばならない。
それからまた、立ちがけに頂くご拝礼を申し上げた時に、丁度ご神前にお供えが、一番正面に、ここん所にお供えしてありますのが、キッコウマンのお醤油の樽だった。それを頂くんですまた。ははあーこれが現在の椛目だなと私はだから思うた。キッコウマンといえば醤油でいえば日本一と言われております。けれども矢張り、キッコウマンということはそのまま修行という事。お醤油という事は修行という事。
しかも一名紫ともいう。本当に安心を伴のうた所の修行。これを貫いて行けばおかげになるという、確信を持っての修行。キッコウマン的な修行。キッコウといえば私の事と教えて下さるので御座いますから、これから椛目のご信心に期待される事を大きいそんな私は思いを初めから帰りまでいうなら、桂先生の御神事を聞かせて貰うたり、又、これかの椛目に対するご期待を聞かせて貰うた様な気がさせて頂いたので御座いますが。
おかげを頂いて、どうでも一つ、椛目の繁昌そのまま、桂先生のご信心の繁昌でなからなければならない。同時に金光大神の二代生神四神金光様のね、九州にかけられるその思いがです、いよいよ成就していかなければならないという事を本当に実感させて頂きました。そういう意味合いで有り難いお祭りだったと思うのでございます。どうぞおかげを頂かねばなりません。